19回生嶋田和子さんより興味深い映画のご紹介をいただきました。
「1000年の山古志〜中越大震災と闘った小さな村の物語〜」
10/10(土)〜10/30(金)まで
ポレポレ東中野

連日10:40/13:15/15:50/18:25
※10月13日(火)15:50の回は休映
当日:一般1500円/大・専1300円/中・高・シニア1000円
企画 武重邦夫、青木勝
プロデユーサー 武重邦夫、関正史、川島正英
監督 橋本信一
<ストーリー>
2004年10月23日、新潟県中越地方を襲った中越大震災は長岡市と合併寸前の
山古志村を全村崩壊させた。山が崩れ、川に土砂が流れ込み集落を水没させた。田圃
や養鯉地の底がぬけ、牛舎が倒壊し多数の牛たちが死んだ。コンクリー道路がめくれ
上がり、住居は軒並みに全壊半壊し、電気や水道のライフラインは息を止めた。地震
発生の翌日、当時の村長・長島忠美は全村避難を発令して住民達は自衛隊のヘリコプ
ターで長岡市へ避難した。「もう、山古志へは永久に戻れないかも知れない」ヘリの
窓から見える山古志村の惨状に人々はそう思った。
中越大地震は阪神大震災の経験から国が想定していた防災活動の枠を大きく超えるも
のだった。中山間地の災害は都市災害とは性格を異にする。特に山古志の場合は、山
の斜面崩壊と芋川の氾濫による集落水没が重なり、排水作業のために未曾有の土木技
術と膨大な作業員が必要とされた。国と県と市が一体となって取り組んだ復興作業も
困難の連続だった。
2年続きの豪雪が山古志を襲い、工事が思うように進まず、全ての資産や仕事を奪わ
れた住民達は避難用の仮設住宅の中で人生の岐路に立たされた。故郷への想いに後ろ
髪を引かれる気持の中で、30%の人たちが村を離れ他の地域に移住した。2006
年の春から、山古志は徐々に避難解除され、住民達は仮設住宅から集落へ通い住居や
田畑の復修作業に取り組み始めた。それは大変な苦労だったが、少しずつ復興の兆し
がみえてきた。
2007年から8年にかけて、山古志は確実に復興を進めて行った。しかし、それは
単に昔の姿に戻る事ではなかった。この甚大な災害に直面したことで、住民の一人一
人が自分と向かい合い「山古志へ戻る事」や「山古志で生きる事」の意味を考える事
になった。
今までは、深い山間で自分たちだけで生きてきたと思っていた。しかし、震災に遭遇
すると日本全国、海外の見知らぬ人たちから義捐金や励ましの声が届けられた。山古
志で生きる事は、つまり、地球で生きることだったのだ。
2009年正月。震災後初めての「さいの神」の火まつりが行われた。山古志の住民
も、やむなく離村した住民も、そして周辺都市からも多くの人々が伝統行事の復活に
参加した。
牛の角突き、錦鯉の集荷、田植えの準備・・も始まった。子供の声や、牛の声や、虫
の音も戻り山古志の空気が充満し始めた。日本の里山の原風景も戻りつつある。中越
大震災が勃発してから間もなく5年目の秋が巡ってくる。あの災害は大変だったが、
腰を据えて周囲の山々を見ると、先人たちが生き続けた1000年余の様々な試練の
時間に思いを馳せる事が出来る。楽しい事と辛い事が長い鎖のように結ばれながら、
その先端に自分たちは存在している。山古志は小さな山古志であるが、防災列島で生
き抜いてきた日本人そのものなのである。
映画『1000年の山古志』の前半は中越大地震の勃発から始まり、全村崩壊で仮死
状態になった集落と復興への姿を追う。中半からは、水没した集落や全倒壊した集落
の人たちの直面した人生の選択を描き、人々の夫々の復活への努力の姿に光を当てて
ゆく。後半は幾多の困難を乗り越えた人々の達成感と喜び、復元してくる集落の姿が
感動的に浮かび上がり映画は終幕を迎える。